恥の多い人生の只中 仄暗い道を往く

自分を見つめると死にそうになるが、逸らし続けても死にそうな気配がしたので

同じふりだしに戻ったわけではないが

発達障害と診断されてよかったことのひとつに「以前と比べて、思考がおなじところをぐるぐるまわらなくなった」というのがあるんだけど、それはなんかよくわからない違和感とか不安とか怒りの根源にあるものに名前を付けてもらえたからだろうと思う。

ただ、私の場合診断がすぐついた(診察2回目くらいで薬処方されそうになった記憶がある)のって20年近く鬱と緩解を繰り返してきた実績があるし受診当時も中程度の鬱状態だったからで(多分)、それがない時に診断されたかというとどうだろう。

今の発達障害に対する支援や福祉は「診断ありき」なので、あまり発達障害自体で困っているという自覚がない(実際は困ったことが起きている)、特性の軽い発達障害者は二次障害がない限り診断が下りないのだろうか。個人的には鬱になる前と後で予後が全然変わるので、こういうグレーゾーンっぽい人にも困ってる人には診断が下りればいいと思うんだけど、まあそれは程度問題になってしまうのだろうか。

バリバリに発達特性のある人に対しては、障害年金ももらえる確率が高くて障害者雇用しか選択肢がない=迷わない のが羨ましい、みたいな気持ちがあるんだけど
選択肢があるだけありがたいと思え、みたいな声(脳内)も同時に聞こえるわけで。

ところで、障害者手帳を取得したので、複数の障害者求人に応募などしてみむとしたがまさかの書類審査落ち。
正社員とか契約社員(無期雇用転換あり)とかそのあたりを狙ったのだが、ネットで検索したところどうやらそのあたりは身体障碍者枠であり、精神はお呼びでない感じらしい。なんだそりゃ。
というようなことをいつもの心理士さんに話したら、そこまで露骨ではないけどおおむねそういう傾向だそうです(ネット上の表現を柔らかくしただけでは)。そして、発達障害という名称は認知されてきたものの、相変わらず実態は不明のため、採用する企業も及び腰になってしまうことが多いと。
(精神、最低時給のバイトとかそういうやつなら全然受かるっぽいです)

重ねてなんだそりゃ。

このあたりは都会ではもっと選択肢もあるのだろうが、まあ地方はそんなもんらしい。
もはや定型前提の社会にしがみつくしかないのだろうか、という諦めを得た。
というのがここのところの出来事である。

定型発達の人ですら年齢が上がると応募できる求人が減るのに、なんだここは、地獄か