多少の気づきを得る
現在の私は、発達障害の疑い且つ求職中という状況である。
発達障害かもしれないという指摘を受けてから、たまたまやっていたテレビの大人の発達障害特集等を見た。発達障害とは先天的(たまに後天的もあり?)な脳の不具合によって起こるもので、3種類の障害が独立だったり混合だったりで存在し、同じ比率の混合具合でも困りごとは人それぞれ違う。健常者でも同じようなことは起こるが、決定的な違いは日常生活の困難さ。というようなことはなんとなくわかった。が、症状の出方が人によって違うと言われてしまうと、では私は、となるわけで、図書館で本を探すことにした。
自宅で近隣図書館の蔵書検索をしたところ、発達障害関係の本は何冊かヒットした。ハウツー本よりはまず病気自体の概要を知ることがよいのではと思い選んだのが ↓この本だ。
ASD(アスペルガー症候群)、ADHD、LD 女性の発達障害: 女性の悩みと問題行動をサポートする本 (親子で理解する特性シリーズ)
- 作者: 宮尾益知
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2017/03/14
- メディア: 単行本
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わざわざ「女性の」とタイトルに含んだのは著者曰く、発達障害の診断基準は男性基準で考えられている上に、女性はコミュニケーション能力が高いため「変わった子」とされながらも障害であることに気づかれにくい、ということらしい。ちなみに著者は発達障害専門クリニック・どんぐり発達クリニックの院長である。
ざっくりした内容で物足りなさはあるものの、詳細な情報を得る足がかりにはちょうどよい、まさに入門編な本である。カラーでイラストも豊富、ページ数も少ないので読んでいてもあんまりしんどくならない。
あんまりと書いたのは、このページの枠線部分で号泣したからだ。
母との関係がうまくいっていない上に幼いころから欠陥品であるという自覚を持っている私には、これからもずっとこの状態が続くという予言が書かれているように思われた(この自己不全感に少しセンシティブになっている自覚はある)。
クリニックに通っているもののまだ診断はされていない(少なくとも病名を告げられたことはない)が、この本に記載されている例を見る限り、やはりなんらかの傾向はあるのだと思う。自己記入式の問診後、クリニックではADHDをまず指摘されたが、本を見る限りではASDっぽさの方が目立つように思う。しかし、そもそも自分を客観的に評価することが昔から苦手なため、本当はADHD傾向の方が強いのかもしれない。
また、発達障害と診断されるかどうかというと、日常生活がどれだけ困難なのか、ということに集約されるのだろうなと思う。で、私がどれだけ日常生活に困難を抱えているのか。
最近気づいたのは、精神状態が悪化すると、発達障害の本に出ている困りごとが強まる傾向にあるのでは、ということである。先日も車で30分ほどの祖母宅に行った際に財布や免許証や通知表が入ったカバンを玄関先に忘れてきたばかりだ。それに気づいたのは家に帰って車を降りるときだった。
それとは別に、定期的に鬱状態に陥る原因が発達障害傾向だけではないのではとも思い始めている。母親との関係だったり、職場の人間関係や職務分掌だったり、ひいては家制度や世間とか社会的な構造だったり、そういうものとうまく折り合いをつけることが難しい。それは自己肯定感の低さとか、認知のゆがみ(と言ってるが、正確な意味は実はよくわかっていない)みたいなものとか、そういうのが原因として複雑に絡み合っているのではないか。そして、それを解きほぐすのが一人では困難なため、今専門家や書籍等の力を借りてその作業を行おうとしているのではないか。
ところで、先ほどの本のタイトルを思い出すために「女 発達障害」で検索したところ、こんな記事がヒットした。
この記事に出てくる困りごとの例、確かに全然大したことはないんだが、
「自分が思うどおりに整理整頓や書類の提出ができないのは、「自分のやる気や性格のせいではなくて、障害のせい」と思いたがっている」
という部分には正直ぎくりとする部分はある。
脳みそがこうなんだからしょうがない、と、トライしたり考えたりすることをやめたい自分も確かにいるからだ。しかし実際は、発達障害と診断されようがされまいがごちゃごちゃ絡まってるやつは解きほぐさなくてはならないのだ。