恥の多い人生の只中 仄暗い道を往く

自分を見つめると死にそうになるが、逸らし続けても死にそうな気配がしたので

診断結果の受容

前回の更新からだいぶ間が空いてしまった。
診断が下ったことにやはり落ち着かず、twitterに断片的なものを投稿していた上に、確定申告という強敵を数日でやっつけるということをしていたので疲れ果ててしまっていた。
(確定申告に関しては本当に過集中さまさまである)

今現在の私は、疾病受容までの心理プロセスで言うとにはほぼ3から4に移行しているあたりかと思う。

疾病受容までの心理プロセス
第1段階: 病名告知による衝撃・ショック
第2段階: 防衛的退行(否認・逃避)
第3段階: 承認(怒り、抑うつ
第4段階: 受容(新しい自己への親しみ)

2は、診断されてしばらくしてからのもっとやれる感というか、発達障害って言っても軽度とかあとほらグレーゾーンなんじゃないの?という気持ちがやはりあり。なけなしの自尊心が反抗するんですな。その後主治医に確認したところ、グレーゾーンではないし障害者手帳も申請できるレベルとのことでした。

そのあとは3。やっぱり怒り。
今まで周りにいた大人たちに、自分に、診察を受けた精神科医に、非寛容社会に、たまさか定型発達してる人に。

いやしかし、これだけ大人の発達障害がわーわー言われてるのって結局は社会の締め付けが厳しくなったからというのがかなりあると思う。もっと牧歌的な社会だったら全然やれてたりする場合もあるだろうし。
私の場合も、上司がずっと変わらなければ長く勤められた可能性が高かった。と思う。


また、障害の受容過程というのもあるようで。

障害の受容過程
「障害者の受容過程における心理は、障害による人間としての価値の喪失から、価値の発見に至る心理反応の一部です。」

これ、リハビリ関連のページなので多分身体の障害のことを言っているんだろうけれど、このスタート地点が発達障害と大きく違うところだと思う。
発達障害は先天的に発達がアンバランスな脳を持っているとかそんな感じなので、成長とともに周囲との違和感がどんどん大きくなる。そのため、診断が下りると安堵というか納得というか、そういう気持ちになる人が多いというのをいろいろ読んで感じる。特に大人になって診断された人。そのあとすぐ不安になるが。
なので、もしかしたら、発達障害であること自体は受容しやすいのではないか。と思う。

ただし、大人になってから診断された人は「もっと早く診断されていれば」という点で気持ちの整理をつけるのが難しい。
相当のエネルギーをつぎ込んで環境に適応していたのがアダとなって障害に気づかれなかったわけなので。
わたしがなかなか抜け出せなかったのも、この事実があまりにもショックだったからでした。今でもそのことを思うと悔し涙が出てくる程度には傷ついている。
一言でいうと、生まれてきた時代が悪かった、ということになるのだろう。