気づきばかり
自分の発達障害を疑い始めてから約1年が経った。
当初の予定ではとっくにフルタイムで働いていたはずだったのだが、自分を見つめたりした結果ある程度の精神的乱高下があり、それに伴い発達障害特性の出現を実感するなどまあいろいろあったりしたわけだが
それにしてもよくもまあここまで自分のことをわからないまま40年近く生きてきたな
というのが正直なところである。
発達障害者はメタ認知機能が弱い、というのはよく見る言説なのであるが
まあそういうことなのだろう。
(メタ認知とは)
この1年でさまざまな本を読んだが、一番発達障害の理解に役立ったなと思うのはこの書籍である。
発達障害専門外の精神科医に向けて書かれた本ではあるものの、専門用語はほとんど出てこないため滞りなく読める。
発達障害の表に見える部分だけを代表的な例として拾ったような大人の発達障害本というのは実はあまり役に立たず(平均的な日本人像が自分に当てはまらないのと同じように)、実はこの本のように根本的、本質的なまなざし+症例集というのが、特にグレーゾーンを含んだ大人の発達障害への理解には必要なのではと思う。
これを読んだのが発達障害の診断を受けた頃で(近くの図書館の「大人 発達障害」で検索したらヒットした)、ちょうど精神状態悪化に付随してADHD特性がゴリゴリ出ているタイミングだったのも実感を伴った理解ができたという点でよかったのだろうと思う。もしもこの本を読んでいなかったら、"発達障害"をいうものをもっとスティグマ化してしまっていたかもしれない。
スティグマと言えば、なんとなく、発達障害というものが世間に認知されるにつれて「発達障害者への偏見や差別」が生まれるのはこれからなのでは、という気がしている。
今私は障害者雇用はやめて一般枠で求職しているわけだが、偏見や差別が大きくなればなるほど「定型発達者のようにふるまうこと」に多くのエネルギーを費やさねばならなくなるだろう。そうならないためにも是非普通の人にも上記の本を読んで「すべての人間には発達障害的要素がある」というこを知ってほしいのだが。
ところで、今日見かけた精神科医の方のツイート、最近考えていたことを後押ししてくれる内容だった。
仕事でも勉強でも、一番大切なことは継続性なのよ。
— ゲイの精神科医Tomy (@PdoctorTomy) 2019年11月28日
いくら気合いを入れて集中しても、継続できなくなったら意味がない。
だから「がんばる」ということは力を入れるんじゃなくて、
「いかに無駄なエネルギーを使わないか」なのよ。
疲れを最小限にする=がんばる
このあたりを意識して行動の取捨選択を行うのがよいのだろうと思う。