恥の多い人生の只中 仄暗い道を往く

自分を見つめると死にそうになるが、逸らし続けても死にそうな気配がしたので

自閉傾向について考えるなど

発達障害の特性もスペクトラムなのではっきり分けられるものではないが
診断的には、わたしはADD>>ASDらしい。

確かに精神状態が悪化すると不注意特性が顕著に出てくるが、平常モードの時はむしろ自閉とともにあるのだな…というのがこのところの気づきである。わりと精神的に落ち着いてくると余計にそう思う。

発達障害の診断が出た後関連書籍やブログ、論文、SNSなどとにかくいろいろ情報を漁ったが、なかでも一番ショックだったのがこれである。

自閉症スペクトラム障害の女性は診断に至るまでにどのように生きてきたのか(PDF)

これは今読み返してもかなりしんどいものがある。ADHD関連の困りごとがないわけではないが、ここまで心に刺さらない。
自閉傾向があってもある程度のコミュニケーション能力と模倣で自分以外の誰にも違和感を持たれないがゆえに支援から漏れるという悲劇である。
思えば昔から「ありのままの自分でいるとどうやらよろしくない」ということを理解していたようで、とにかく模倣であらゆることを乗り切っていたように思う。私には年子の兄がいたので、ほぼ兄の言動をコピーしていた。兄が大学進学で家を出るまで、ほぼ兄をモデルとしていたんだろうと思う。
その後模倣するべきモデルを失った私は、近くにいた複数の人間をモデルとしていたようだ。それと並行して「女子大生」を学習すべく初めてファッション雑誌を買ってみたり(読んでも読んでも興味が持てなかったのでファッション雑誌を買ったのはそれ1冊きりだった)、いい歳をしてブラジャーが嫌いなのは身体に合っていないためだろうとセミオーダーの下着を作ってみたり、髪にも気を遣わなければと好きでもない美容室に行ってみたりいろいろしたが、結局それらは今まったく定着していない。
流行の服に多いポリエステルなどの化繊の服は好きじゃないし、下着もまわりまわってブラトップで落ち着いたし、髪が顔にかかったりするのが嫌いなので基本ポニーテールだし美容室に行きたくないから定期的に自分で切っている。

社会経験的によかったのは、多分学生時代にいくつもアルバイトをしたことだろうと思う。今まで開けたこともなかった扉が少しずつ動いた感じか。あとは大学には見た目からして変わった人が多かったのと、ゆるいつながりを持てるような場所もあり、わりと居心地はよかったというのもあると思う。

多分、こういう経験の積み重ねで、表層の真似のみだったふるまいが、徐々に行動原理として刷り込まれていった部分もあるのだと思う。
それが、社会に適応できがちな発達障害者としての今につながってるのではないか。適応できがち、と書いたのはいまだに表層の真似でしかない部分があるから。今後経験を積んで自分のものとなる日が来るかそれともコピーのままなのかそれはわからないが、都度都度人を見てふるまいを真似るというよりは、行動も思考も構造化プログラミングしてしまうのが手っ取り早いのだろうと思うし脳のメモリやエネルギーを節約できてよいのではないだろうか。

結局、今の日本社会では「いかに定型発達者に不信感を抱かれずにやっていけるか」が重要なわけで、100%ありのままの自分でいることはたとえ家庭内であっても許容されないというのが実際だろう。たとえ職場や家庭、その他社会それぞれに発達障害への理解が深い人がいても、だ。ありのままの自分でいることは多分、難しいだろうさまざまな程度が同じような発達障害者同士であればもしかしたら、とも思うが、たとえば定型発達者同士でもまったく気を使わないありのままモードではうまくいかないだろうと思われるので、まあ、なんというか、楽な道などどこにもないのだろう。