恥の多い人生の只中 仄暗い道を往く

自分を見つめると死にそうになるが、逸らし続けても死にそうな気配がしたので

祖母と話す

正月は他県に出かける(嘘)から実家には帰れない、と、父経由で母に伝わってから早1か月。あれから主に発達障害について情報を集めたりしており、「発達障害の診断には成育歴が必要」というのをネットでよく目にしていた。
今通っているクリニックから「親を連れてきて」とか「通知表持ってきて」等の指示が出たことはない。仮に言われたとしても、クリニックが遠い上に家族関係が悪いので親に来てもらうのは現実的ではない。が、通知表ならなんとかなりそうだったので、父に聞いた母不在のタイミングで取りに行った。念のため。
この通知表、実家の金庫の中に入ってるんですよ。昔何かあった時のためにと金庫の開け方を教えてもらったときに知ったんだけど。これ、母が自分の評価だと思ってんじゃないかな。兄は健康優良児というやつでほぼオール5とかだし、わたしは体育や図工が苦手なもののそこそこの成績で、まあ、俗にいう優等生というやつでした。で、母はそれに大変満足していたようだしそこをアイデンティティにしていたし、今でもそうなのではないだろうか。それで、みんなと同じにすらできないことを詰ってくるのかもしれない。

通知表のついでに、というよりはむしろこちらメインなのだが、祖母にまだ年始の挨拶もできていない状態だったため、会いに行ってきた。
父母合わせてもうたった一人の祖母である。本当はもっと会いに行きたいが(庭木の手入れとか屋敷の手入れとか十分でない)、母が頻繁に出入りしているためそれは難しい。
正月に挨拶に来れなかったことを詫び、母とうまくいっていないことをぼつぼつと話した。祖母はうんうんと聞いてくれ、「あなたのお母さんは強いもんねえ…」と言った。

そして、祖母は父が小さかった頃の話を始めた。祖母は9人兄弟で、電車で1時間以上離れた都市部から嫁いできた。小さな家に祖母、祖父、祖父の父母、祖父の祖母の5人で住んでいたらしい。圧倒的アウェイである。
やがてわたしの父が長男として生まれる。この父の育て方をめぐって、祖母と祖父・祖父の母とでトラブルがあった。祖父の母は、父の友達(5歳くらい)がわーわー遊びにきて家屋敷を汚すことを嫌い、全員追い払ったらしい。怒った父は祖父の母(つまり父の祖母)を突き飛ばすかなんかし、それを後から聞いた祖父は父を折檻したそうだ。祖母は「それっからずっと嫌いだった」と言った。文脈から言ったら祖父(つまり自分の夫)のことだろうが、もしかしたらそれに姑も入っていたのかもしれない。「お舅さんはほんとに優しくていい人でね…」と祖母は何度も言った。しかしそれからずっと嫌いだったのか。知らなかった。祖母はもう米寿を超えた。70年近く、ずっと嫌いだった人の世話をしてきたのか。
普段穏やかで優しい祖母の口からそんな言葉が出ると思わなくてひどくびっくりした。ショックに近かったと言ってもいいかもしれない。いったいどんな気持ちでこの祖母は生きてきたのだろうか。嫌いと言った祖父は数年前に亡くなった。90以上生きた。大往生だった。

とりあえず、母とは距離を置いているが、父とは連絡を取っていることを祖母に伝えると「あの子(父)はわたしに似て楽観的だからね」と言っていた。確かに似ているかもしれない。表面上は強い性格の人間とうまくやっているように見える。激しい性格の祖父と母、穏やかで自分の意見を言わない祖母と父。
当然祖父と母は合わなかった。最初からずっと合わなかったが、兄が生まれその夜泣きが決定的だったと祖母は言っていた。本家の長男ながら、父と母は家を出た。

祖父が嫌いと言った後、祖母がつぶやいた言葉が忘れられない。「元気なうちはどんなに強くても、弱ったらなにもできなくなるのにね…」