恥の多い人生の只中 仄暗い道を往く

自分を見つめると死にそうになるが、逸らし続けても死にそうな気配がしたので

混乱している

精神科受診のきっかけとなった、2回目の臨床心理士相談(公的サービス)に行ってきた。

前回12月に行ってこれだけ間が空いたのは、このころになれば心理検査の結果等出ているだろうからということだった。

 

で、例の知能検査の結果を見せたところ、「この感じじゃあ発達障害とは言えないですね」と言われたのだ。

曰く、「言語性と動作性のIQ差がもっと開いていないと」ということであった。

また、向き不向きが極端だから、向いていないことを頑張るのではなく、得意なことを伸ばす方向にシフトすべきとのこと。それはきっとそうなんだろう。

 

ただ、「発達障害とは言えない」と言われたときは、ああそういうものか、そこまでひどくなさそうで少し安心したとか思って帰ってきたが、その後ずっともやもやしたものが残っている。それは、確かにある種のいわゆる「生きづらさ」を持っているのに、という気持ちだ。もしかしたら私は「あなたは発達障害だね」と言われることで、その生きづらさを公認してほしいと、そういう気持ちになっているということだろうか。

 

あるかもしれない。

カウンセリングで今までの精神的な遍歴を話した時も、「大変でしたね」と言われるだけでだーーーっと涙が出てきた。ああ、やっぱりそれは大変な状況と言えることだったんだ、という意味で認められたような安心感があったように思う。

「なんだそのくらいで」「みんな頑張ってるんだから」「大変なのはあなただけじゃない」「下(上)を見ればキリがない」という世間様のオピニオンのようなものがいつも心の中にあって、誰か(それを判定する資格を持っていれば尚更良い)にそれを判定してもらわなければ「大変」とか「つらい」とか言ってはいけないように思っているのかもしれない。

 

自分の気持ちも誰かに決めてもらわないと断言できないとは…?