恥の多い人生の只中 仄暗い道を往く

自分を見つめると死にそうになるが、逸らし続けても死にそうな気配がしたので

正月実家に帰りたくない⑤

前回↓からの続き。 

goi-san.hatenablog.com

父は、約束の時間通りに来た。 

父とはほどんとまともに話したことがないが、特に話さなくなったきっかけがあった。私は好きなアニメをずっと録画してビデオにコレクションしていたのだが、よりによって最終回を録画したものを父に上書きされてしまったのだ。しかもそれを知ったのが「〇〇(私)のビデオを間違って上書きしてしまった」という、母宛のホワイトボードのメッセージであった(父は交代勤務の仕事をしていたため、伝達事項は居間のホワイトボードに書いていた)。

ボード上で私に謝るでもなく、代わりに謝ることを母に頼むでもなく、はたまた直接謝るでもなく、ただ「上書きしてしまった」と書かれている。それを見たときは、私のお気に入りのアニメがもう二度と見られなくなること(当時DVD-BOX的な概念などない)、ほぼ1年間にわたるコレクションがすべて無に帰したこと、それに対し父がさも何も起きていないかのような対応をしたことで多分得も言われぬような気持ちになったのではないかと思う。ほぼ怒りと落胆だろうけれど、昔すぎることと思い出したくもないこととで当時の気持ちはうまく思い出せない。 

とにかくそれから、私は父親のことを無視するようになった。最初は向こうから謝るまでは、と思っていたのだが、一向にその気配がない。父も自分が無視されていることはわかっているはずなのになぜ無視されているのか聞いてこない。しばらくして母親に一度軽く窘められた記憶があるが、その時もなぜ私がこのような行動を取っているのか聞かれなかった。「思春期の女の子はみんな父親に対してそうだから」放っておけば時間が解決すると考えたのではないか。しかし、思春期ゆえに無視をしていたのではなかった私は家を出るまでずっと父親を無視し続けた。結局家族の中で誰も私の行動の理由を聞いてはこなかった。最初のうちは痛んでいた心も、家を出るころには一部が死んでいたようだ。何も感じなくなっていた。

 今思えばすごいことなのだが、それでも父はずっと変わらない態度だったように思う。そのうち簡単な受け答え程度はするようになり、私が鬱で実家に戻った時は気晴らしに天文台に連れて行ってくれたりした(と言っても会話はないが)。結婚してからは夫を交えてならなんとなく会話をするようにもなった。無視事件が始まってから20年弱である。

 

 父には先日母から言われたこと、母に対して思っていること(正月実家に帰りたくない③の箇条書き部分)を話した。犬立ち入り禁止の件も「それなりの対応になる」発言も父は知らなかったようだ。

そして今現在私が母に非常に大きなストレスを感じていることと再び精神科に通っていることも話し、しばらく母親とは距離を置きたいので正月実家には帰らないと伝えた。とにかく私の精神状態がよろしくないということを強調した。実際はストレスによる鬱状態とかそういうので精神科に行っているわけではないのだが、そうでもしないと母の性格だと直接家に来ることも考えられるからだ。

理路整然となど話せるわけもなく涙と鼻水垂れ流しながらだし、夫から頻繁なフォローがあってやっと、ではあったが、もしかしたら親に自分の気持ちを正直に話したのはこれが初めてかもしれない。とにかく大仕事であった。(そういえばそもそも、あの箇条書きは父訪問に際して自分の気持ちを整理するために作成したメモ書きであった) 

父が来る前に夫から「自分の奥さん(つまり私の母)のことを悪く言われていい気がするはずがないから、お母さんに対する言葉はキツいものを使わない方がいい」と言われてはいたのだが、箇条書きのあたりを次から次へと思い出しながら話しているうちにどんどん不満のようなものが噴出してきて、私は途中から母のことを「あの人」呼ばわりしたりしていた。それでも父は最後までこちらの話を聞いてくれた。困っているのだか面倒くさいと思っているのだかよくわからない、いつもと変わらない様子である。そして折を見て母に話してくれるということであった。 

父に話したことで気持ちはかなり楽になったが、日がたつとまたじわじわ不安になってきて、万が一に備えて母からの着信を拒否設定したりもした。しかしそのまま何事もなく正月を迎えることができた。向こうがどういうことになっているのかは父とも連絡を取っていないので不明。 

とりあえず一時的ではあるが、ある程度の精神的負担を軽減することに成功したと言えよう。ひとまず家族関係はお休み。

ちなみに、私の視点から話すと母がどうしても悪いように見えるのだが、多分普通に見たらおかしいのは私の方だろう。精神科に相談に行っているのはそのためである。