恥の多い人生の只中 仄暗い道を往く

自分を見つめると死にそうになるが、逸らし続けても死にそうな気配がしたので

正月実家に帰りたくない①

完っ全に世間が年末モードになってここ数日、正月に実家に帰るのが嫌すぎて軽い鬱状態になっていた。

今月初頭実家へ荷物を取りに帰った際、ひと悶着あったのだ。
帰り際「正月に帰ってくるでしょ?」と母が言ってきた。その少し前に飼い犬の立ち入り禁止を言われていたため「顔を見せるだけになるかも」と答えたら、「いつまでも嫌なことから逃げるな」「あなたがそういう態度ならこちらもそれなりの扱いになる」「こっちはいつまでも娘だと思っている(と言いながら涙ぐむ)」ということがあってな。なんで泣くのか意味不明じゃない?

とは今思っても、私は母を目の前にするとダメなのだ。頭がまったく働かない。とにかくさっさとその場から立ち去りたいという思いに支配されて的確な対応をすることができないのである(ということに、後述の本を読んでいて気が付いた)。

そんなようなことがあって、クリニック初診のカウンセリング時に私が困りごととして多くの時間を割いたのは結果的に家族関係についてであった。例の一件がなかったら、もっと発達障害の可能性についてもっと相談していたかもしれない。余談だが、クリニックの初診は大量の問診票への記入、それを受けてのカウンセリング、謎のテスト(私にとって謎だっただけでクリニック独自ではなさそうなもの)、医師の診察と、本当にもりだくさんで今までかかったことのある病院とは違うところだらけだった(ただし、患者一人一人の状態に応じたそれなりの時間をかけるため待ち時間は恐ろしく長い)。

とにかく年末が近づくにつれ徐々に鬱々してきた私は、「正月 帰りたくない」などと入力してはそれっぽい記事を見て自分と同じような人がいることに対するちょっとした安堵で気を紛らわせていた。

ところで、なぜ母が「今年は当然正月実家に帰るでしょ」という言い方だったのかというと、我々の転居により居住地が近くなったからだ。将来的なこと(主に家)を考えて他県から地元(と言っても少し離れている)に戻ってきた。今まで私が毎年実家に帰らなかったのは物理的な問題、距離のためだと母は思っているらしい。そんなわけあるか。ひとえに実家が苦痛だからである。なんなら実家に行かず義実家だけなんていうのはしょっちゅうだ。

兄夫婦がいればなおさら居心地は悪い。去年だか一昨年だかに子供が生まれたのがダメ押しである。両親(というか特に母)は初孫なのもあり、もうとにかくちやほやする。兄夫婦は親バカだし自分大好き(両方とも全然悪いことではないしむしろそうなれるのが羨ましい)なので記念日には家族写真入りのグッズを作ってそれをプレゼントしたりする。正直いらないし理解できないメンタリティだが楽しそうでいいわねえと思う。

私が結婚も子供も嫌だと思ったのは主に親を見ていてなのだが、そうでなくとも(だからこそ?)そもそも私は昔から子供があまり好きではない。血の繋がりの有無に関わらず、ほぼかわいいと思わない。動物としては造作等興味深いがただそれだけであり「はい〇〇ちゃん、叔母ちゃんでしゅよ~」などと兄が赤ちゃん言葉で子供に話しかけられてもとてもその茶番には付き合えない。だが兄は高確率でその茶番を吹っかけてくるし、それに乗らない私に母親は厭らしい視線を送ってくる。間違いない。

そこで心の頼みの綱が飼い犬なのだが、実家で飼い始めたビビり犬のせいで我が家の犬(に限らずどの犬も、らしいが)は立ち入り禁止になってしまった。二年に一度くらいは正月に帰ったような気もするが、それも犬がいてこそである。先代の実家犬は穏やかな性格でうちの犬とも仲良く遊んでいたのでまだ気楽に寄れた。中学生の頃には「結婚しないし子供も産まない」宣言をしていた私にとって、犬はもはや家族である。実家でもそうだったはずだ。実際今ビビり犬を猫かわいがりしているではないか。

にも拘らず、実家ビビり犬のためだけに「犬は家に置いてこい」「留守番できないならホテルにでも預けてこい(うちには4ヶ月の子犬がいる)」「犬の扱いが人間と違うのは常識」という論理で実家犬禁止令(ただしビビり犬は除く)が施行されたのである。母の独断により。

なぜ家族というプライベートな空間に常識とやらを持ち込んでくるのか理解不能だ。と今なら思える。しかし、繰り返しになるが私の頭はまったく回らず「それはおかしい」と思っていても何がおかしいのかもわからず、「たしかに常識的には犬は犬…」とただもやもやするだけなのだ。

書き始めたら予想以上に長くなってしまった。次へつづく