恥の多い人生の只中 仄暗い道を往く

自分を見つめると死にそうになるが、逸らし続けても死にそうな気配がしたので

障害者手帳の取得

障害者手帳の申請をしてから2か月ほどで役場に取りに来いという通知が来た。
受け取った手帳を見てみると、どうやら申請した日から私は障害者になっていたらしい。

子供のころから発覚していたならともかく、この歳まで健常者としてやってきて(やれてないが)、手帳の有無だけで障害者か否かが決まるというのはなんとも滑稽な話であることよさすがリターンに関しては申請主義国家などと思う。

そこまで発達特性はひどくないのだが、とはいえ知能は立派に凸凹しているため失敗体験の連続である。その積み重ねにより、最近では人間と関わりあうこと自体が嫌になっている。観念の中で生きていきたい、というような願望がずいぶん昔からあったが、多分そういうことなのだろうと思う。文字情報のみなら人間と付き合ってもよい。

私の家は長所を伸ばすではなく苦手を克服しろという教育方針だったため、向いていないことを習得することが成長だと思い込んでいたし、そのためにだいぶ時間も機会も浪費したように思う。

つくづく、親とわたしの相性が悪い。ひいては運が悪い。

発達障害の診断を受ける動機のひとつに、発達障害者に普通さらには優等生であることを強要しやがってくそ野郎がっていうような気持ちを親に投げつけたい気持ちが確かにあったななどと思う。親の理解の及ばない生き物ではあっただろうが(実際、何を考えているかわからないとか言われる)、それでもこちらに何が起こっているか、どうすればうまくいくかを探るという姿勢は皆無だった。本当に運が悪い。

発達障害は親の育て方が原因ではないが、二次障害は周りの社会が作るものだろう。子供にとっての社会で大きな割合を占めるのが親。

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ところが、次の三つの育て方では、二次障害が起きやすくなります。わが国の多くの親御さんが「普通」と思っている育て方、苦手克服のために訓練を過剰に行う育て方、本人の意志に任せ過ぎる育て方。この三つです。

まんまこの三つの育て方をされたので、今こうして立派な二次障害がひどい発達障害者が出来上がっているわけだが、親はそんなことに気づいてもいないのだろうと思う。
昔遺書を書いたとき(当然ながらその自殺は失敗に終わったが)、親に対して「あなたたちの育て方は間違っていなかった」と書いた。それはある意味本心だったし、自殺することへのうしろめたさから来るものでもあった。

が、今なら全く正反対のことを書くように思う。死ぬまで自分のことで苦しめばいいと思う。

さて、今回散々出てきた「親」という言葉だが、こと教育や育て方、となると思い浮かぶのは母親のことばかりである。父親は仕事に行って帰ってくると自分の世界に引きこもっているように見えた。父親は完全に機能不全家庭出身なので、機能不全家庭の再生産というわけである。親の問題が代々持ち越される。このあたりも運が悪い。

つまるところ、障害の受容的なこととは対照的に、親との関係については一向に気持ちの整理がついていないということだ。そのうちこのあたりの気持ちにも変化が起こるのだろうか。