恥の多い人生の只中 仄暗い道を往く

自分を見つめると死にそうになるが、逸らし続けても死にそうな気配がしたので

会話の中で気づいたことメモ

全体もしくは大部分が見えていないと物を識別しにくい私にとって、片付けはネガティブな行為と位置付けられているのかもしれない。ただ、片付け(収納)をした方が掃除をしやすいことは確かである。

私の家族には対話がなかった。対話していないのはわたしだけで、他の家族はしていた(る)可能性もある。が、そのように思えなかったし今も思えない。

多分、植え付けられた抑圧の中でずっと生きてきた。今死にたいとは思わないけど、あの時死んでしまっていた方がよかったなとは思う。

私が(遺伝的に獲得した能力で)苦も無くできていることは他の誰かが望んでもできなかったこと、という理論、言いたいことはまあわかるが、それって餓死している貧困国の子のことを思えば食べ物を粗末にできないとかいうただ確率の問題なのではと思ってしまう。